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私の患者さんのなかには、病院を脱走同様に脱けだしてきた患者さんも何名かいた。理由を聞くと、 |
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「自分は、病気と言うよりも老化だと思う。家で気ままに過ごしたかった。」 |
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という。病院から自宅に戻したときによく見る光景に、一瞬、生命が輝きだしたかのように元気になることがある。いや、加齢や疾患的に良くなるはずはないのだが、回復したように見えることがある。なぜか? |
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私がこの仕事の意義を気づかされたのは、ある患者さんの一言だった。肺気腫をわずらい、さらに腎臓も弱り人工透析の導入が避けられなくなったので入院し、一度導入したのだが、その後透析を拒否して自宅に戻ったKさんの言葉。 |
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「もう、私はね、痛い思いも屈辱的な思いもしたくないんですよ。このベッドの上でね、好きな音楽でも聞きながら、ゆっくり眠っていたいんです。先生、そういうのは駄目ですかね。」 |
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その後、奥さんとも話し、自宅での最後を迎えた。 |
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医師としては、何が何でも透析をすすめなくてはいけないのかも知れない。しかし、年齢や今後を考えるとそれが絶対必要なのか、と思うことがある。 |
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先日は入院の継続のために、気管切開と胃瘻(いろう)の増設をしいられた患者さんがいた。まだ歩くことができて、食事もとれて、呼吸も問題ないのに、である。理由はわからないでもないが、いつまでこの状態でいられるかわからないが、できればこの患者さんの体を傷つけずに診ていきたいと思い、在宅医療を開始した。いま私の患者さんであるが、ご家族も以前同様の生活パターンである。自宅は病院ではないから、パジャマを着ている必要もないし、アルコールなどの嗜好品も、多少は良いのではないだろうか? そして、ご家族にもできれば通常の生活を、可能なかぎり続けていただきたいと思う。在宅医療は、あるがままの君を、あるがままの暮らしの中で診ていく。これが、醍醐味であるとさえ思う。 |
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1960年代の日本では、まだ自宅で死ぬことがあたりまえだった。当時とくらべると社会構造や家族構成の変化もあり、この状況に戻れるか、また戻すことが正しいのかはわからないが、医療経済的なことをはずして考えたとしても、在宅死は大切な文化であると思う。 |
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私はここに、医療提供者と患者側の、より正しい関係が隠されていると思えてならない。 |
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ポストモダンが叫ばれて久しいが、すでに全員がひとつの価値観で生きることは不可能である。と同時に、死に方に関しても多種多様の価値観が存在するはずである。死は確かに、法の監督の下に置かれるのは、正当性もあり我われ国民にも安心感があたえられる。しかし、制度が優秀すぎることが、逆に死に対する本質を奪い去ってしまったのではないだろうか? |
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現在の介護制度も、本来は高齢者の生まれた地域へ、そして家への回帰をうながす目的が本来あったはずである。実際は、その逆に流れが動いている。 |
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新村 拓著『在宅死の時代』にこう書かれている。 |
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「数十年前までは家で最後を迎える人は多く、家族は親族や地域の人たちの協力を得ながら死を看取っていた。病院や施設での死が増えるにしたがい、当然の事ながら看取るための知識や技術が家や地域から失われてゆく事になる。いわゆる看取りの文化の消失である。そうした状況が広がるなかで、再び家で看取るように指示されても家族はとまどってしまう。死が近づいて病人のあえぐような息づかいを耳にするようになると、家族の不安は高まってくる。死が近づけば、家にいたいという病人の意思に反して救急車を呼んでしまい、病院へ送り込むのが一般的である。(中略)現在、推し進められている在宅医療、そして在宅死を考えるとき看取りを含めた家族機能の社会化は不可欠である。看取りの文化を地域医療や福祉を担う人々の協力を得ながら再構築してゆくことは、看取る人の不安をやわらげるだけでなく、看取りにかかわる人への死の準備教育ともなり、その人たちの生に厚みをもたらすことにもなる。さらには人と人のつながりの輪が作られ、安心して暮らせる町づくりを通して地域も活性化される事になる。」 |
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この本、在宅医療の現場に身をおくものとしては、共感する部分が多い。在宅医療は、単なる自宅での往診という意味だけではない、と最近思う日々である。明日は明日で、また別の考えが浮かんでは消えることと思う。「我思う、ゆえに我あり」の境地である。だから、在宅はおもしろいともいえるのだ。 |
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Dr.平野 |